比べっこ
おやっと気になった記事タイトルのブログを、一見さん的にのぞいて思ったこと。
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シニア世代の女性と思われる、配偶者と二人暮らし、子や孫とは別居の方の語りだったのだけど「幸せそうな家族写真の年賀状を受け取ったり、ファミリーシーズンの家族揃ってのイベントニュースに触れるのがつらい」という感じのことが綴られていたの。
そっかー、「家族写真の年賀状がつらい」というのは中年以下の独身あるあると思っていたが、もしかしたら高齢者にも散見される現象なのかしら。「自分は子供がいない」「孫がいない」「孫がいたとしても一緒に楽しい写真を撮るような間柄ではない」などなど。
と、ここで気づいたのだが、若い既婚者でも「妊活してて、でも子供ができなくて、子供の写真を見せられるのが死ぬほどつらい」人だって、世の中にはいっぱいいるんだろうなー。
だからといって幸せそうな家族写真の年賀状がいけないわけでも、それを送る人にも悪気がないのは重々承知している。
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その方は(家族写真の年賀状を送ってくる人に)「幸せを見せつけられた」と反感方面の思いを抱いていらっしゃるようだったけど、送り主には「幸せをわざわざ見せている」つもりなんてないのだと思う。
幸せな人は、わざわざ他人に幸せを見せつける必要なんてないもの。
送り主にとっては「なにげない日常(近況)」の一コマ、なんだろう。それが、それをもたざるものにとってだけ、過剰な意味をもち、重くのしかかるわけだ。
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はて。
わたしとしては、(仲が悪いようでもない)配偶者との暮らしがあって、頻繁に会える関係ではないのかもしれないが子や孫がいて、それでも他人の幸せに「自らのもたないもの」を重ね、心を痛める方もいるのだなー、と、不思議な気持ちになった。
その方の詳しい事情は知らないわけだけど、ねぇねぇ、配偶者を生涯もたず、子や孫も永遠にいないわたしからしたら、あなた様は十分に幸せに見えますよ、と、教えてあげたい気持ちになった。
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幸せは人と比べるものではい。と分かっていても、それをつらぬき通せるほどわたしたちは賢くない。ときどき、人と比べて落ち込んだり、自分はマシかもとなぐさめ行為に走るのは仕方ないのだと思う。
たいていの場合、口に出しにくいことなんだけどさ。
その手の迷宮に入りこんだら、つらいよねー。
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比べっこは永遠にきりがなく、わたしは基本(比べっこによって)おのれを蝕むばかりだから、その頻度が極力ゼロに近づいてゆきますよーに、と願う。
ぱんぱん。(…手をたたく音)。