うるめいわし10尾

1月8日(日)

うるめいわし10尾
(お~、あらためて見ると
でかいな。20㎝サイズ)

昨日処理せず寝てしまい

今朝、6尾は頭落とし
内臓出して手で開き
塩して紙で包みチルドへ。
4尾まるごと&6頭は
圧力鍋にかける。

むー、「背骨まで食べられる」
ほどの柔らかさにはならず
今後研究してまいりましょ。

(朝獲れでこのサイズ…
お刺身にしてもよかったな
昨日なら)



母、食後のみかん食べている
ところに、ショートのお迎え。

前回少し早めに告げたら
母のつらそうな顔を見ることに
なってしまい

今日は中々言い出せなかったの
「お泊りの日だよ」って。

ごめんなさい。



年末に捻った左手首
けっこうな痛みが出ている。

なぜ? きのうの買い物で
重い荷物を下げたせいだろう。

労わりましょう~。

 

 

閉じた二人(3)

この高齢親子の生活を外から
ちょっと見すれば、娘サイドの
奉仕的側面が映るかもしれぬ。

でも、実際はそんな
単純な話でないのは
わたしが一番知っている。



今のわたしは
「介護するヒト」の役割しか
自分の居場所を見つけられない。

いわば、依存状態
なのである。

おまけに実家に家賃を払う
でない、居候をしているのだから
これくらいの“対価”を提供する
のは当然という見方もできよう。



そんな「実家に置いてもらって
いる」身でありながら、満足に
母の世話もできないでいる。

最低限のこと、身の回りの世話や
公的介護サービスのアレンジは
しているけれど、言ってみれば
「それだけ」なのである。

もっとあれこれやってあげられる
ことはあるはずだけど
(昔の写真を見てお喋りしたり
塗り絵やドリルを一緒にやったり
考えればいくらでもある)

現状、これ以上の
サポートは精神的にも
体力的にもムリムリムリ
と思ってしまう。



またわたしは
母とは全く関係ないところの
とある人間関係で、かなり
精神をまいらせており

それはわたしの体調に直結し
感情の起伏にも大きく作用し

母に大いに迷惑かけている
自覚がある。

(老母にとっては、なんで
娘がしんどそうにしてるのか
まったく想像できんだろう)

超々々々
間接的な八つ当たり!



家族介護に限界あるのは
少し見聞きしているし

「完璧」を目指してる
つもりはないの。

ただ、自分の都合で
母を不利な状況においやる
(=気持ちよく生活できない)
のは

極力避けたいのだ。

あ~~~

そのためにはわたし自身が
少しでも元気になることですぞ~。

 

閉じた二人(2)

来客のときはまあまあ
いい感じでふるまって会話も
(同じことを繰り返すにせよ)
まずまず成り立っており

身になじんだコミュニケーション
能力のおかげで一見すると
うまくやっているようだが

実のところ、正確な返答ができて
いなかったり、興味の幅がすこぶる
狭まり(もはや孫にも関心ないよう)
使う単語の種類も減って…

母が話をすることは
確実に減ってきている。



認知や記憶の衰えは
自然な流れともいえるが

人と話す機会の激減が
それを後押ししているように
わたしには見える。

(週二回の通所リハビリで
スタッフさんたちと会うほかは
基本同居人であるわたしとしか
接触しない毎日。

わたしも常に100%の力で
母サービスできるわけでない。
衣食住最低限の世話はなんとか
ぎりぎりしても、実は母と同じ
空気吸っているのも苦しい~
なんてことは多い)

姉ですら「認知症の進行を
遅らせるには家族の努力必要」
とさんざん医師に言われたと
わたしに伝えながら、自分は
老いた母と接触したがらない。

たまに母の妹たちが電話くれ
母と会話してもらうときもあるの
だけれど、母の受け答えが
「その場しのぎのもの」というのは
もろ伝わっているだろうと、そばに
いるわたしとしては申し訳ない
気持ちになってしまう。

ああ、だれに
母とのお喋りを頼めようか。

しかしこれでは
なし崩し的な負のスパイラル
ではないか。

わたしのなかにある

自分のメンタル守るため
母との距離をとること
「仕方ない」と言いたい気持ち



これではますます
母の認知衰えが進むから
何か手だてはないものか
の叫び。

 

閉じた二人(1)

たかが「食べ間違い」を
気にするのはおかしいと
一般的には思われる
かもしれない。

だけど、毎日まいにち
母と一緒にいて、その老いを
ほぼひとりで背負っている
わたしとしては

かなりの

あーあ、と思うこと

なのである。これは。



親の面倒みるなんて初めてだし
認知症のはいってきている人と
こんなにも閉じた生活のもと
マンツーマンで向き合うのも
人生初めて。

世に聞く、「食事したことすら
忘れてしまう」こともないし
…「何食べた?」と聞かれたら
捏造した献立をすらすら述べて
人と上手に会話する…
「モノを取られた」なんて
物騒なことは言わないし
…自分が忘れ物したのでは?と
急に思い立つことがあるらしく
夜中に荷物の点検を始めるの
しばしば…

毎日まいにち同じ会話して
うんざりしつつも

まあ、なんとかやっている
つもりでは、わたし自身いて

しかし、自分の内面に
物凄ー--いストレスが
あるのも否定できなくて

自分で思っている以上に
実はあぶないのかも。。。

そして母は
わたしの想像もしないところで
自分の老いに戸惑っている
可能性もある。

 

 

老母と握り寿司

1月7日(土)その二

 

お夕飯は熊本のお酒
「一本〆」を開けて乾杯。

 

握り寿司、温めた棒ヒレカツ
サラダ(白菜水菜りんごの
あっさり和&高リコピントマト)
味噌汁(椎茸と小松菜。上に
ひきわり納豆トッピング)。

 

 

それにしても・・・

 

お寿司はスーパーのもので
普段は「一人前ずつ」のを買う
のだけど、今日は「二人前」が
ひとパックになってるのを
選んだの。

 

そしたらこれまで
気付いていなかったこと
に直面してしまった。

 

母が、自分の食べたものを
どうも覚えていられない
様子なのよね。

 

(同じ種類の握りが二つずつ

入っているわけで……。最初は

「二つあるのばかり食べてるな」

とやや気になる程度だったのだが

 

途中で母が「すでに食べた種類」
の握りに箸をのばしたところで
決定的になってしまった。

 

母は、今の今、自分の食べた

握りの種類を覚えていない…?)。

 

うぅ、そういえば、今日は
いつもに比べ、握りを食す
ペースが遅い。

 

そうか、そうか。

 

ふだんの生活から色々
認知の低下には直面して
いるつもりだったけど

 

あらたな老いの一面を
見てしまった思い。

 

しょうがないね。

 

ゆるゆる老いてまいりましょー。

 

 

 

 

うんと西のほうのお酒

1月7日(土)その一

 

去年現金購入した地域通貨

使用期限が残り数週間となり

使わねば!と通貨使える

ドラッグストアへ。

 

出かける前は曇りだったのに

行きは霧雨程度の

帰りはけっこうざぁざぁ

雨に濡れ、自転車族は

がんばるマン。

 

 

今「特に必要なもの」ないのぉと

思いつつ、これまで使ったことない

「調味料」「水に濡れたまま使える

ハンドクリーム」など合計5千円余

お買い物。残すところ一万円ちょっと

がんばって使いきりましょう。

 

 

本日、Kさんより

熊本のお酒を頂戴する。

 

阿蘇郡小国町のお酒

 

 

妬みのツボ

1月6日(金)

 

 

庭の金柑、焼き立てパン、林檎を

T子さんもってきて下さる。

 

いつもありがとう。

 

 

ゆうべまた妬みのツボを

押してしまい、苦しいくるしい。

(自業自得の刑に処せられ中)